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覚せい剤の歴史
覚せい剤は新しい薬物ではありませんが、製造技術の進歩によって、近年さらに強力になってきています。
アンフェタミンは1887年にドイツで初めて製造され、さらに強力で製造が容易なメタンフェタミンは、1919年に日本で開発されました。その結晶状の粉末は水溶性で、注射での使用に最適でした。
メタンフェタミンは、第二次世界大戦中に広範囲に用いられるようになり、連合国側、同盟国側において自軍の兵士たちを常に覚醒させておく目的で使用されました。日本では、神風特攻隊の隊員が自爆作戦の前にヒロポンと名付けられたメタンフェタミンを大量に与えられました。戦後になって軍用の供給品が一般の市民に出回り、注射によるメタンフェタミンの乱用は伝染病のような勢いで広まりました。
1950年代にはメタンフェタミンは簡単に入手できるようになったため、大学生やタクシー、トラックの運転手など、夜更かしをする人々に興奮剤として使用され、覚せい剤乱用は一気に広まりました。「注射1本、錠剤1錠」ですぐに元気になり勇気が湧くとうたわれたこの薬物は、戦後の敗戦による精神的混乱の最中にあった日本においてますます広がりを見せ、1954年のピーク時には、検挙者数は約5万6千人にも達しました。(第1次覚せい剤乱用期)
その後覚せい剤乱用は日本で大きな社会問題となり、1954年と1955年に取り締まりの強化を目的に、覚せい剤取締法の改正が行われました。
この対策により覚せい剤の乱用は沈静化し、1955年頃には日本国内での密造は一掃されました。1970年代には覚せい剤乱用者の検挙者数は再び増え始め、1984年の検挙者数2万4千人をピークに、年間の検挙者数が2万人台の時期が1996年まで続きました。(第2次覚せい剤乱用期)1998年から現在に至っては、第3次覚せい剤乱用期と宣言されています。
この背景として、海外からの大量の覚せい剤の流入、従来の暴力団絡みの密売組織に加え、来日外国人の密売組織が街頭で無差別的に密売することにより、覚せい剤が安価で手軽に入手することができるようになったことが考えられています。またインターネットの普及により、ネット上での密売も横行し、若者がファッション感覚的に薬物を取る風潮も、覚せい剤乱用の広がりに拍車をかけています。